体は使ってなんぼと思うおはなし

こんにちは。京都整体 粟野です。

今日はタイトルのとおり、お体のお話です。

整体の仕事をやっていると・・・調整したお体の良い状態をなるべくキープして頂きたいと思うため、施術者は患者さんに対して体にストレスになること、悪影響を与えることを遠ざけるようにお伝えしていきます。

これは、姿勢のことや体の使い方のことだったり、食生活や、気持ちの面にも及びます。

例えば、操体法という手技体系の哲学では、食息動想(しょくそくどうそう)という言葉で表現されたりもします。この4つに環境要因を加えた5つが互いに関連しあい、かつ補いあって心身の健康やバランスを保つことに影響を与えます。

食・・・食事
息・・・呼吸
動・・・体の使い方、運動
想・・・考え方、思考癖      + 環境要因

確かにこれは、心身の健康な状態をキープするためにはとても大切なことだと思います。私も、なるべく調整した体に施術効果を打ち消すような刺激は与えて欲しくはないと思っていますし、身体を大事にしてほしいとも考えています。

ですがですが、だがしかし!     「駄菓子 昭和」の画像検索結果

メンテナンスに出して綺麗に洗車しピカピカになった愛車を、なるべく消耗させないように埃もつかないように大事に大事にするような扱い方は違うなーと最近思うようになってきました。

ここで突然、魂のお話をさせてもらうと、(いろいろな考え方は古今東西あるかと思います。)あの世で魂だけでになっている状態では、痛いとか苦しい (-_-;) とか、人間が普段感じる煩わしい感覚は無いかわりに、美味しいとか、いい音色だわ~♪とか、いい香りだ~♡みたいな心地よい感覚を味わうこともできないそうです。

なので、輪廻転生で生まれてくる際に受肉して、苦しいことも楽しいことも味わえる体を借りて今生の課題に向き合い学びを得るために生きるということです。「ひょっこりひょうたん島 楽譜」の画像検索結果

私は何かの宗教を信仰しているわけではありませんが、このような考え方は個人的には肯定的に思います。

もちろん、突発的な不慮の事故や災害、事件、病によるものなどはとても残念で悲しいものではあります。

それは別にしたとしても、どんなに元気に健康に生きたとしても、人間平均して80歳くらいかもう少し位の命なのはどうやっても決まっています。

なので、健康な心身というのは手段として使うものであって目的ではないのだなと改めて思いました。

カップラーメンなどの添加物、保存料、人工的な化学物質類が入った食品も、冬山や厳しい自然の中を冒険する人達にとってはとても役立つアイテムになるかもしれません。結果、山頂からの壮大な景色を拝むことができたら最高の経験です。そこまでいかなくても、休みの前日にポテトチップスとビールを片手に前から見たかった映画を観るのも一つの大切な時間に思えます。

整体的には体にとってストレスがかかるマイナスのことでも、人生のなかで時には家族や目標の為に成したいと思うこともあるでしょう。

ストレスやしんどいことばかりでは人生嫌になってしまいますが、一般的に体にとって負担になることや害になることも含めていろいろと経験していくのが人の生活なのだと思います。

魂の状態が数百年~千年くらい?、順番が回ってきて体を借りれる時間が寿命分のローテーションだとして、魂だけの状態になったら、日々、受け取っている様々な感覚が味わえなくなると想像したら、「今だけなんだな」と、尊く感じられてきました。

そんなわけで、人の身体をそういうふうに考えてみると、じゃあ、その体のケア、整体をすることってどういうことなのか・・・がいろいろと見えてくるような気がします。

そして、日々、目の前を通り過ぎていく様々な四季の景色も、また違った見え方になるかもしれません。

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