高額商品の売れ方について 小家大プロフィール⑤

普通の人である小家大は

暗黒時代を何とか生き延びて大学を卒業。

周りの雰囲気で就職活動をやりました。

働く意味は分かりませんでしたが、なんとなく働くものなのだと。

(今でも働くという言葉の意味は曖昧ですが・・・真剣な遊びや暇つぶしとどう違うのでしょうね)

 

最初はそれなりに大きな企業に入れればいいな~

とかぼんやり考えていましたが、

就活を初めて1か月、

自分がやりたいことなどないのだと気付き(志望動機が嘘くさい)

また、どこに入っても一緒だと思うに至り(めんどくさくなった)

そして、僕の学歴で行けるところは限られている(残念)ということで

最初に内定をもらった呉服の小売り会社に就職しました。

 

 

幸運なことに、

日本一の呉服グループの中の

売上ナンバー1の店舗に配属され

この店の店長とスタッフさんのおかげで半年間で1000万円を売り上げて昇進。

着物は一式50万円~300万円以上する高額商品です。

店頭にそのまま置いてあっても誰も買ってくれません。

これを売るためには、「接客」の内容が大切です。

それはノウハウであり、経験であり、キャラであり、

お客様と言語が通じるのであれば

接客の学習と反復練習によって

必ず売れるようになります。

(ここまでは人間であれば誰でもできる)

が、そういうのは十分条件でしかありません。

売れるために一番大切な必要条件は・・・

「売れる人に売る」こと。

これが一番大事です。

言葉遊びのようですが。

興味ある人はまた聞いてください。

小一時間ほど拘束しますが。

 

なかなか、順調な滑り出しだったのですが

ここで人生二度目の「死にたい」がありました。

僕が昇進した年、この超絶店長も部長に昇進したのですが、

新店長と全く反りが合わず、仕事へのモチベーションが消失。

今、思えば僕は自分のモチベーションの維持を敏腕店長に依存していたので

敏腕店長がいなくなった為、

それまでのような高いモチベーションを維持できなくなったのでした。

自分で目標設定できなかったのですね。

 

それを考えると、

人に高い目標設定をさせてそれを達成させていたあの敏腕店長はすごかった・・・。

以降、糸の切れた凧のように仕事でのミスを連発。

車の運転中に寝てしまい同僚に怪我をさせたり、

車をバックさせてる途中で寝落ちしてお客様の家の塀に突っ込んだり

仕立て上がった着物の納品連絡を行うのを

忘れて何件もキャンセルを出したり、(100万くらい?)

 

お金の受け取りを約束していたのを

忘れて上得意客様を激怒させたり・・・

 

本社での幹部会議で、

社長と話している途中で寝てしまったり・・・

 

「これはもうアレだな」という状況でした。

毎日、死にたいというよりは「消えたい、消えてしまいたい」と

念じていました。

 

そして、

この時はまだハッキリとは気付いていなかったのですが、

いくつかの条件と、強いストレスが揃った時に強烈な睡魔に襲われるという体質を僕が持っていたということです。

思い起こせば、大学時代の失敗も睡眠に関することでした・・・。

 

何人かに相談したのですが「どうしても眠ってしまうんです!」と力説(笑)すればするほど、そんな話を真面目に聞いてくれる人はいないと気付くのでした。

 

そして、人に分かってもらうのをあきらめました。

 

急に展開したことは、その後も急に展開していきます。恋愛や職場の人間関係も他人からの評価も売上も株価も治療も、すべての事象が同じ原則で動いています。

今なら分かりますが

ネガティヴがポジティブに付いていけないので、ネガティヴにポジティブが付いていくことになるのです。

その後、部長になった元敏腕店長から引導を渡され退職。

無職になりました。

 

ちーん。

次回は、小家大の怒涛の大反撃が

始まらない!

 

普通のままの展開が続く!

 

JICO関西支部 支部長 小家 大 (コイエヒロシ)

 

石川県珠洲市出身。高校まで地元で過ごし、京都に大学進学。

大学卒業後、呉服小売店勤務を経て、カイロプラクティックの専門学校に入学。

専門学校卒業後、整体店勤務を経て、2009年1月京都整体からすまおいけを起業。

2011年クラシカルオステオパシー研究会(現クラシカルオステオパシー学会 以下JICO)に出会い、以後、JICOのセミナーを受講しながら、店舗運営の基礎をクラシカルオステオパシー中心に移行していく。

2014年JICO関西支部立ち上げの際、支部長に任命。2016年現在に至る。