田舎者の思考回路 小家大プロフィール③
僕は田舎というものが嫌いです。
例によって赤い字だけ読めば13秒で読めます。
田舎は時間がゆっくり流れています。
それは人の流れが少なく、皆一定のパターンで動くからです。
次に何が起こるか分からない!場所でのんびりすることはできません。
すべてが予定調和の空気で、予測不能なことが起きにくいのが田舎。
許容しあえる範囲を確認しながら許容しあって生きていく覚悟をした人たちの集団です。
ドラクエの街の人みたいな感じ。決まったことしか言わないそれが田舎。
まあ、それはいいのです。それが田舎。
僕もそんな人間だし、ドリフや新喜劇や水戸黄門も大好きです。
田舎において何よりキツイのは「生きている実感が薄い」ことです。
自分がここにいる必然性を感じにくい。
田舎のように、
全てが予定されていると「何故そうするのか?」と疑問を抱く余地はなく
全てにおいて必然性を感じる事が難しくなります。
やらなくてもいい事と、やらなければいけない事の違いが判別できません。
これが苦痛。
更に言えば、ここにいるのが自分以外の誰かではいけない理由もありません。
いなくてもいい訳です。いてもいいけど。
(日本社会におけるここらへんの議論はここ20年でされ尽くしてはいると思いますが)
当時、深海の循環のようにゆっくりとした人間関係の中にいた僕には
「何故?」という問いが生きるために新鮮な空気であり、
自分がここにいる必然性を感じるにはどうしたらいいのか?
と日々悶々としていました。
いずれ死ぬ前に焼却しなければいけない黒日記が書かれたのもこの時期です・・・。
僕は今でも「何故?何故?何故?・・・」と突き詰める欲求は、人一倍強いのですが
ある程度(生きるために必要な情報が)分かってしまうと興味が失せてしまいます(飽きる)。
それは田舎で過ごしていた時に常に感じていた
「存在の希薄さ」を埋め、生きる実感を得るための行為なのかもしれません。
ちなみに
都会から田舎に移り住みたいと考えている人は
どんな理由であれ止めておいた方がいいと思います。
田舎というのは人が流れない故に田舎なのですから、
移り住んでくる人を受け入れる気などないのです。
新しい人を受け入れ田舎自体が変わってしまうくらいなら
このまま人口が減っていき消滅することを望んでいるのですから
そっとしておいた方が良いでしょう。
「そんなの知ったことか」という人は、移り住んだら良いでしょう。
家族みんなで頑張るしかありません。
田舎にずっと住んでいる人は田舎を愛しながら同時に憎んでいます。
それは田舎の中で生き続けた自分を憎んでいることに他なりません。
そんな田舎に移り住みたいという希望を持ってやってくる人もまた
愛されながら憎まれます。
「どうせバカにしてるんだろう」「どうせ逃げ出すだろう」と思われながら
30年住む覚悟があれば認めてもらえるかもしれませんが、
都会も田舎も同じで、一定数の意地悪な人がいます。
そんな意地悪な人とドラマチックに分かり合えるハプニングでもあれば
話は好転するかもしれません。
でも、そういったハプニングが起こらないのも田舎なのです。
とりあえず縁もゆかりも無い田舎に移り住みたいとか言っている人は
止めておいた方がいいと思います。
ここではないどこかがいいとかいつまでも言ってないで
今の一瞬を目の前の人を大事にするように生きた方が良いと思います。
人生にリセットなんかありません。
前回に引き続き、僕がいかに普通かということですが、
僕は小学生の時の記憶がありません。
保育園の時はあるのに。
多分、頭使ってなかったんでしょう。
色んな所に連れて行った親がかわいそうです。
記憶の中ではいきなり中学生が始まります。
思春期ど真ん中だった僕はこの頃
社会学者の宮台真司さんの本に出会い
モノの考え方を意識的に考え始めます
(現在、当時の本を読むと、宮台真司さんの言いたかったことは「考えるな感じろ」という内容なんですがw)。
「多くの人と触れ合うことで、自分の輪郭を把握し、生きにくい社会の中で生きていけ!」
みたいな内容(ナンパしまくれば世の中大体わかる!)だったのですが
田舎の非流動的かつ限定的な人間関係(同級生6人)においては再現できず、
かといって、東京に行くほどの意気込みもなく、
古典文学や哲学の系譜を追わなければ読みこなせない
難解な社会学理論や用語にひたすらときめきながら
妄想の中で理論ばかりで人間関係を組み立てる
行動力が伴わないタイプの中二病患者でした。
高校時代は友達5人しかいなかったので、
小学校の同級生よりも少ないですね・・・ふふ。
普通科に行ってました。普通ですね。
高校卒業後、大学への進学を希望しました。
第1志望は東京都立大学(現・首都大学東京)。
理由は
宮代真司さんが当時助教授をやっていたから(軽薄!)。
そして、
落ちました・・・!
JICO関西支部 支部長 小家 大 (コイエヒロシ)
石川県珠洲市出身。高校まで地元で過ごし、京都に大学進学。
大学卒業後、呉服小売店勤務を経て、カイロプラクティックの専門学校に入学。
専門学校卒業後、整体店勤務を経て、2009年1月京都整体からすまおいけを起業。
2011年クラシカルオステオパシー研究会(現クラシカルオステオパシー学会 以下JICO)に出会い、以後、JICOのセミナーを受講しながら、店舗運営の基礎をクラシカルオステオパシー中心に移行していく。
2014年JICO関西支部立ち上げの際、支部長に任命。2016年現在に至る。
以下、今年の講習会開催のお知らせです。
2016年も、古典オステオパシーを研究することで治療家の技術力を向上させることを目的とし、クラシカルオステオパシーBasicコース(全10回)を開講します。
※ベーシックコース新規受講希望者は以下、紹介コース①と②の受講が必須となっています。
第1回 2016年 3月13日(日曜日)11時~16時 講師:西川茂樹
紹介コース① 歴史と原則 2時間
紹介コース② 原則と治療 3時間
第2回 2016年 4月17日(日曜日)11時~16時 講師:羽場隆人or小家大
紹介コース① 歴史と原則 2時間
紹介コース② 原則と治療 3時間
第3回 2016年 5月日曜日予定 11時~16時 講師:未定
紹介コース① 歴史と原則 2時間
紹介コース② 原則と治療 3時間
参加資格:医療系資格保持者(民間資格・医療系資格養成校学生を含む)
講習会費用:①②20,000円 事前振込でお願いしております。
開催場所:京都整体からすまおいけ
京都府京都市中京区室町通御池下る円福寺町345サウス御池ビル7F
京都市地下鉄 烏丸線烏丸御池駅 徒歩3分
参加申し込みは電話かメールでお願いします。コース内容やその他のお問い合わせもどうぞ。
ご来院いただき質問などに直接お答えすることもできますが、その際は事前にお時間をお電話でご確認ください。
075-211-4888 京都整体からすまおいけ
担当:小家(コイエ)
以下、JICO関西支部要項です。
オステオパシーは、
約140年前アメリカの医師ATスティルによって見出された手技による医療哲学です。
クラシカルオステオパシー学会(以下JICO)はオステオパシーの治療4大原則に従い、
手技によって身体症状を改善させることのできる技術力を持った治療家を組織し、
近畿圏の地域社会に貢献することを目的としています。
「3つの方針」
① クラシカルオステオパシーの普及
クラシカルオステオパシーの普及がもたらす社会的恩恵は計り知れません。
慢性不定愁訴に悩む方を一人でも多く減らすために「ちゃんと」治せる治療家を増やします。
その為に、治療の基礎である診断能力底上げの為の勉強会を行います。
② 自分で考えて治せる治療家の育成 治療モラルの形成
特定の社会や時代にしか通用しないマニュアルに依存する治療・経営ではなく
自分の頭で考えて、真っ当に生き抜く地力を持つ治療家を応援していきます。
「上手い」と「まとも」は違います。患者を自己の利益追求の道具にせず、
相手の為に治療して奉仕することで正当な対価を受け取ることができる治療家を応援します。
③ 治療家の人生を豊かにする
治療家同士の交流を行うことで人脈をつなげていく。
クラシカルオステオパシーという同じ土台で学び続ける共有意識の元、
組織作りを行い、助け合える環境を作り上げていく。
また、関西における業界間雇用の融通を図り、
ニーズに合わせて自営者からの転換雇用や、会員新店舗の立ち上げスタッフの育成や、「まともな」治療家の独立を支援する。
将来的には関西地域での店舗間における、患者の紹介や症例の報告会などをクラシカルオステオパシーブランドの元で行っていく。
「3つの約束」
①オステオパシーの原則を元にした講習会を行い、「原則」の考え方を徹底して身に付けることであらゆる徒手療法家の実力を向上させることを約束します。
② 講習会運営側から一方通行になりがちな受け身型の講習会ではなく、相互コミュニケーションを図り、各受講者の直面する課題や個性を理解することに努めます。各受講生のメリットを把握し一体感のある集団を組織して、全ての受講生の満足度を高めることを約束します。
③ 会員からの実現可能なニーズを聞き取り、技術の研鑽と営業能力(個人、法人共に)を高められる材料を提供することで、持続的にオステオパシーを学び続けることのできる環境づくりを行い、治療家としての人生を豊かにすることを約束します。